東京高等裁判所 昭和42年(ネ)1036号 判決 1968年7月31日
主文
原判決を取消す。
被控訴人の請求を棄却する。
訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の主張及び証拠の関係は原判決事実摘示と同一であるからこれを引用する。
理由
一 控訴人が各種熔接材料の販売を目的として設立された訴外協進熔接有限会社(以下訴外会社という)の設立当時よりの代表取締役であったこと、被控訴人が工業用ガス並びに熔接材料の販売を営業目的とする株式会社で訴外会社との間に熔接材料の供給に関する取引があつたこと及び訴外会社が昭和三九年一〇月三一日銀行取引停止処分を受け、倒産したことは当事者間に争いがない。
二 そこで、被控訴人が訴外会社との取引によつてその主張の債権を取得した事実の有無を検討するに、成立に争いのない甲第二、三号証及び原審証人細谷正憲の証言を綜合すると、個々の債権の発生日時及び原因を明確にすることはできないけれども訴外会社倒産当時同会社に対して、同会社振出にかかる金額合計一九四万〇、五七五円の約束手形債権、同会社の裏書にかかる金額合計一三七万一、一六五円の約束手形債権及び合計七七万四、九六一円の売掛金債権以上総計四〇八万六、七〇一円の債権を有していた事実が認められるけれども右金額を超える金四〇九万六、六〇一円の債権を有していたことを肯認すべき証拠はない。
しかるところ、原審証人藤本猛の証言によれば、訴外会社は、昭和四〇年九月一六日破産宣告を受け爾来破産手続が行われているところ、届出債権の額は約一、二〇〇万円ないし一、三〇〇万円であるのに配当に宛てられるべき会社財産の額は十数万円に過ぎないことが窺われるので、被控訴人の有する債権中少くとも四〇〇万円は回収不能になり、被控訴人はこれと同額の損害を被つたものと推認するを相当とする。しかし被控訴人が四〇〇万円を超える金員の損害を被つたことを確認する資料はない。
三 よつて、進んで、控訴人に訴外会社の代表取締役として職務を行うにつき悪意又は重大な過失があつたとの被控訴人の主張について判断する。
控訴人が訴外会社の代表取締役就任当時より同会社の業務について一切関与せず、取締役の一員である訴外細谷正憲に代表取締役の職印を預け経営一切を同人に委ね、同人に専行させていたことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない甲第一号証、前掲同第二号証、原審証人細谷正憲、同藤本猛の各証言を綜合すれば、訴外細谷正憲は個人企業として熔接材料販売業の経営を企図したが、自己の資力と信用をもつてしては、事業の成功覚束なしと危惧した結果昭和三四年頃、当時訴外株式会社東洋製作所の代表取締役である控訴人の信用を利用するために会社組織により営業することとし、同年六月一九日訴外会社を設立し、控訴人の承諾を得た上控訴人を名目だけの代表取締役に就任させ、自らは取締役に就任し、控訴人から代表取締役の職印を預り、自ら専務取締役を称し、控訴人よりの包括授権の下に会社の経営を自己の掌中に納め、業務を独断専行してきたものである事実が認められるところ、およそ有限会社の代表取締役たる者は業務執行については善良なる管理者の注意をもつて忠実にその職務を遂行すべき義務を有することは明らかであるから、前段認定の控訴人の所為は故意に任務を懈怠したものといわなければならない。被控訴人は、その被つた損害は、控訴人より包括授権を受け、事業の一切の経営に当つた細谷の放漫、ずさんな経営に因るものであると主張するだけで、その具体的内容が明らかでなく、控訴人の任務懈怠と被控訴人の損害との間にいかなる因果関係が存するかが明らかでない。
尤も、原審証人細谷正憲、同藤本猛の各証言によれば細谷が不断取引先の信用調査に欠けるところがあり、また、売掛につき事前に販売先に担保を提供させなかつたことは窺われるけれども他方右各証言によれば細谷は、新たに取引を開始する際には銀行を通じて信用調査をしたこと及び、訴外会社の月間売上高が三〇〇万円前後にして破産宣告当時における債務総額が一、二〇〇万円ないし一、三〇〇万円であるのに、倒産当時において回収困難と目された売掛金の額は約三三〇万円であつたがその内約二〇〇万円は破産宣告までの間に回収されており、さらに十数万円回収の見込みがあることが認められるので、不断の信用調査不十分の点及び担保を提供させなかつた点は右各証言により訴外会社の倒産原因と認められる同会社が資金繰りに窮した事実とどの程度重要な関連を有したかを明らかにする資料は全くない。特に担保の点については、もともと販売先に担保を提供させるかどうかは取引高の枠、販売先の信用度、取引慣行等諸般の事情に基づいて決せられるべき運営上の問題であつて売掛なるが故に常に担保を提供させなければならないとすべき理由はない。
また、右藤本証人の証言によれば細谷が訴外白井工業の一〇〇万円を超える金額の融通手形が白井工業が倒産したために訴外会社の資金繰りに支障をきたし、訴外会社行詰まりの一因となつたとあるけれども、右の融通手形が白井工業振出の手形で、その倒産のためにこれを資金化しえなかつたことを意味するのかはたまた白井工業との融通手形の交換により訴外会社の振出にかかる手形は決済せられたにもかかわらず、訴外会社が交付を受けた白井工業振出にかかる手形が倒産のため不渡となつたため、訴外会社において該手形の買収を請求されたことを意味するのか全く不明に属するばかりでなく、右融通手形振出の日時、経緯、白井工業の倒産の原因等についてもこれを知りうべきなんらの資料もない。融通手形による資金操作が、きわめて不健全な方法であることは否みえないとは云え、融通手形が不渡となつた一事により直ちにその所持人となつた会社の取締役の職務の執行につき悪意または重大な過失があつたものとはいうことができない。
また、被控訴人は、控訴人が訴外会社の代表取締役たる地位を利用し、同じく控訴人が代表取締役の地位にある株式会社東洋製作所の訴外会社に対する売掛金債権を訴外会社に対する被控訴人ら他の債権者に優先して回収したと主張するけれども該事実を肯認すべき証拠がないのみならず、仮りにそのような事実があつたとしても、該行為をもつて訴外会社の代表取締役としての控訴人の任務懈怠ということはできない。
四 以上説示のとおり、被控訴人が控訴人の訴外会社の代表取締役としての悪意または重大な過失による任務懈怠によつて損害を被つた事実が認められないからかかる事実の存在を前提とする被控訴人の本訴請求は既にこの点において失当として排斥を免れない。
されば、被控訴人の本訴請求を認容した原判決は不当であるから、民事訴訟法第三八六条、第九六条、第八九条を適用して主文のとおり判決する。